縁起
白毫寺縁起 びゃくごうじえんぎ
寺伝によれば、慶雲2年(705)法道仙人により開基された。
本尊は天竺から伝えられた言う薬師瑠璃光如来(秘仏)。
眉間の白毫から神々しく瑞光を放っていたので、「白毫寺」と名付けられた。
また、入唐求法から帰朝の際に白毫寺を訪れた慈覚大師円仁(後の第三世天台座主)は、
周囲の山並みが唐の五台山に似ていることから山号を「五台山」と命名(後世に五大山と改称)し、
持ち帰った密教法具を伝えた。円仁が“中興の祖”と呼ばれる由縁である。
法道仙人はインドの僧で、中国・五台山で修行の後に日本を訪れた。
円仁もまた五台山で修行を重ねている。開祖も中興の祖も、
共に五台山にゆかりがあるのは不思議な因縁と言うしかない。
鎌倉時代には七堂伽藍が建ち並び、南北朝時代に入って赤松貞範など地元領主の庇護のもと、
九十三坊を擁する丹波屈指の名刹として隆盛を極めたが、天正時代に明智光秀の丹波攻略に伴う兵火で焼失。
しかし、人々の厚い信仰に支えられて立派に再興し現在に至っている。
平成13年秋には、渡邊惠進第255世天台座主猊下の来山を得て、
厳かに開基1300年慶讃法要が行われた。